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ハジチ
2009/08/08 22:29:54 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 沖縄の伝統工芸品

まだまだ風が強い中、家の中の大掃除をしてしまった。。。

不要な書類など全て破棄してすっきり。

防風戸解除がまだ出来ないのでせめて室内の大掃除でもと。



やっと落ち着いて、調べ物や仕事の準備などしていたら、こんな時間になってしまった。



書籍を整理していたら面白い新聞記事のスクラップがあった、4年前の日付だった。

民俗学的な関心は小学校時代くらいからあって結構色んな書物が知らず知らず集めていたようだ。

奄美から沖縄、先島にかけ「ハジチ」という風習が明治時代位まであった。



ハジチの基礎知識・・・・・・

女性の手の甲に施す刺青のことで、竹針で突くことから『針突。ハジチ』と呼ばれていた。
ハジチは、現代の若者たちがやっているタトゥーと同じく、女子の手の美的アクセントであると同時に、既婚者のしるしでもあった。

明治の末ごろまで沖縄で広く行われていた女性の入れ墨。成女儀礼として指から手の甲、ひじにかけて施された。
模様はデザイン的な美しさと呪術的な意味合を備え、女性の一番のおしゃれだったという。
1899年に入れ墨の禁止令がだされたが、昭和の初期まで密かに行われていたらしい。

地域や個人によっては、一人前の女であることを「ハジチ」で示したとも言われる。その模様は、時代によっても異なるが、丸形、四角、菱形と様々。ハジチ彫りを生業とする針突師(ハジチャー)が居て、各地を廻り、「首里那覇では今、菱形模様が流行っている」などと、情報を提供してハジチ商売をしていたようだ。

場所によっては、心得のある者が、その地域のハジチを一手に引き受けていた。さしずめ今のビューティーサロンのようで、カリスマ・ハジチャーもいたにちがいない。地方の女子たちは、1〜2年に一度やって来る針突師を心待ちにしていたんだって。

そのための費用は、鶏を飼い卵を生ませて換金したり、現物を渡したり、自家で生産する野菜などを市場に出したり、または、労をいとわず、自ら野菜や芋、大根などをカゴに入れて頭に乗せ、家々を売り歩いてお金を手にする。親たちも、この針突費用稼ぎだけは、大目にみていたようだ。むしろ、奨励していたような節がある。

初めて針突をする手を「サラ手。サラてぃー」と言い「まっさらな手」を意味する。奇数年齢の年の吉日を選び、そのサラ手に「ハジチ」が施されると、家族はもちろん、友人知人が集まり、祝いの座が設けられた。美風だったのである。
 
針突の所要時間は存外に短く、3、4時間。術後はトーヌカシー(おから)で突き跡を洗い、痛さと腫れを引かせたようだ。
トーヌカシーには民間療法の特効があったのだろうか。神経が細やかな指や手の甲を針で突くのだから、痛くないわけがない。

しかし、この「痛み」に意味があるのだ。

針突の痛みに耐えたように、女子は嫁ぎ先でも辛抱第一。何事にも耐える強い生き方をせよと、教訓したのである。

「財産は大いにあっても、あの世には持っては行けない。でも、ハジチは永遠のもの」とする考え方は、観念として人々の中に根強くあったようである。

明治19年(1886年)沖縄県知事大迫貞清(1825−1896 初代知事)は、ハジチを悪い風習とみなし、針突禁止令を立案するに至り、時を追ってハジチをする者も少なくなっていった。また、大正五年(1916年)フィリピンに移民した3家族の妻女が、揃ってハジチをしていたため、当地の日本人社会から白眼視され、さらに、台湾や南洋諸島でも「沖縄の蛮風」と軽蔑、差別されていた。

事ここに至っては、海外の沖縄県人会も無視するわけにはいかず、県に対して「今後、ハジチをした女子の海外渡航を取り締まるよう」文書を送っている。



といったもので、どんなものかと言うと。













デザインは色々意味合いがある。




























実際のハジチを施した方。


















































奄美から与那国までの地質学的な琉球弧(りゅうきゅうこ)という地域の文化風習は、大陸・太平洋海洋系の風習が色濃く残っている地域だと思うね。


離島によっても言葉が違い、石垣の集落集落でも違う・・・・

まさに独自文化が育まれた土地柄なんだよね。







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