石川雲蝶。
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江戸時代末期に越後、現在の新潟県で活躍していた彫物師、石川雲蝶という男がいた。生まれは今の東京の雑司が谷、20代にして幕府御用彫物師に登りつめた稀代の天才。 「良い酒とノミを生涯与える」という何とももはやな条件で越後三条に入り、その技を存分に振るった。時にはひつこく製作を依頼する寺の住職と賭け事・・・多分、些細な事だと思う。桜はいつ咲くかとか・・・そんな類のもんだと思うが、雲蝶が負けて作った作品も残っている。 越後のミケランジェロと呼ばれる彼の彫刻は他の追随を許さない立体感と緻密さだ。 魚沼市の西福寺開山堂の欄間。凄まじい迫力。 ![]() 雲海から今にも抜け出して飛び立ちそうな烏天狗。 ![]() 参拝に来る人にその視線を向けています。スゴイ眼力。 ![]() 所変わって永林寺堂内天井には極彩色の世界が広がっている。龍が這い回り滝が流れています。 ![]() 所狭しと飛び回る龍・・・躍動感溢れるノミさばき。人間業とは思えませんな。 ![]() 雲蝶の三条で住まい、江戸にあった菩提寺は明治に入ってからの大火で消失。この世から彼の生い立ち、肖像画、作品など全てが無くなってしまった。 創作活動をしていた現在の新潟県には彼の作品が多く残っています。中々行って見て下さいとは言えませんが、新潟に行った際は是非、実物を見て頂きたいと思います。 日本にはまだまだスゴイものがあります。 酒をこよなく愛し、自由を好んだ石川雲蝶は明治16年に69歳でその生涯を閉じた。時は江戸から明治時代。彫物師にとってどんな激動の時代だっただろうか・・・ 稀代の天才はその生涯を秘密のベールに包みながら来年、生誕200年を迎えます。 ![]() |
おめでとう!佐藤琢磨!
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インディ・カーという自動車レースがあります。広く一般に知られているF−1は各チームが全てを独自開発するのに対して、インディはシャーシ(車体)・エンジン(HONDA・シボレー2社)・タイヤ(たぶん指定されているはず)と全チーム同条件、つまりエンジニアのセットアップ能力・レース戦略・レース中の駆け引きがモノを言う、非常に人間臭いレースなのです。 最先端技術を争うF1と違い、シンプルなレースなので実はインディの方が人気があるのです。 そんなインディで元F1ドライバーの佐藤琢磨がロングビーチレースで優勝!!年間総合優勝も見えてきたのです・・・現在2位。 ![]() 伝統的なインディのコースはオーバルコース(楕円形)でひたすらグルグル高速で周回するコース。車の外観の違いは塗装だけ。全く同じ性能の車でレースをしています。だから世界最大の自動車レースなんですよ。主役は人間。 ![]() 最近はF1のようなコース設計されたレースも増えてきている。 ![]() F1を解雇されたドライバーが新天地として雇われるが、殆んどがウマくいかない。車の性能レースではないからだ。 ![]() 全てがF1と違う環境でアメリカで開花した佐藤琢磨。凄い男です。 ![]() エンジン供給しているHONDAは1・2・3・4ゴールと日本勢にとっても最高のレース、最高の1日でした。 いがったいがった。 写真は下記、HONDAのHPより拝借しております。ご覧下さいませ。 http://www.honda.co.jp/IRL/race2013/rd03/report/ ![]() |
大西 秀明
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大阪生まれ、吉本興業所属・・・お笑い芸人のジミー大西氏の本名です。 現在はPOPアートのアーティストです。 番組内で絵を描くコーナーで描く事の楽しさに目覚めたそうです。
鮮やかな色彩は独特の世界観がありますね。 故岡本太郎氏も彼の絵を評価していたそうです。芸術家同士、通じるところがあったのかもしれません。
人は、自分の転職を見つける事は難しいのですが、ちょっとしたきっかけで出会うものなのかもしれません。 絵を描くことは、彼のエネルギーになっている事でしょう。 彼の絵を書いている映像を見たことがありますが、あまりにも真剣で驚きました。没頭しているんです。
彼はキャンバスに、言葉でない自己表現をぶつけているんでしょうね。岡本太郎氏もそうでした。 芸術は学んで出来るものではないと思います。 持って生れた才能だと思います。それを見つけることが出来た大西氏は幸せだと思います。 私の才能はなんだろう? ![]() |
外尾 悦郎
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![]() 我々が一度は聞いた事のある建築物の彫刻を主任として指揮している人です。 その建造物とは、スペインにあるサグラダファミリア教会。そうです、あのアントニオ・ガウディが1882年から建築を始めたあの、有名な石の建造物です。オリンピックも開催された、バルセロナにある世界でも有名な教会です。 ガウディは実は引き継いだそうです。もともと、違う建築家が担当していたらしいのですが、教会側と話が折り合わず、後任としてガウディが引き継いだのです。 当時、ガウディは有名な建築家でも彫刻家でもなかったのですが、建築責任者となりガウディ1926年に亡くなるまで、この教会を掘り続けたそうです。 時は流れ、ゆっくりと堀彫り続けられているこの教会は、先の大戦でも破壊されることなく現在、建設中。完成まで500年かかるという壮大な教会です。 そもそもこの教会は、貧しい人々のために聖家族に捧げる贖罪教会として建設をスタートしたもの。建物の彫刻は全て。聖書にならい全て物語りになっているそうです。 しかし、石の文化のヨーロッパといえど、その時間のかけ方はすごいと思うよ。。 さて、そんな世界的な教会の要ともいえる主任彫刻家が日本人という事は以外です。何度かテレビで取上げられたしましたが、それでもびっくりだな、何度考えても。 実は、このサグラダ・ファミリア教会の設計図や模型は、スペイン内乱(1936〜1939)で全て消失してしまっていて、残された弟子達が細々と進めていたそうです。もう完成はしないのではないかとの憶測もあったでしょう。 ところが、時代も変わり今から約30年前、日本の若者が旅行で訪れたこの地で進められていたこの世紀の建築物に興味を持ち、「彫らせて欲しい」の一言で彼の人生が決まったのには驚きだ。当然、その時は断られたそうなんだけど、それでも彼は足しげく通ったらしいのです。 そして、現在のポストで活躍しているのです。 でも、バルセロナ・カタローニャ地方の人達の懐の深さは凄い!日本で言えば、国宝で世界遺産の姫路城の改修工事を任せているようなもんです。日本ではありえませんね。 でも、やっぱり一番凄いのはこの外尾氏でしょう。設計図も無く、完成予想図もないこの建造物を、ましてや、仏教徒思想の人間が聖書物語の彫刻をしてしまうのですから。 現在、彼が手がけた画像にもありますが「生誕の門」は2000年に世界遺産登録されたものです。ちょうど東側の入り口だそうです。 世界遺産って、現在作られたものでも登録されるんだぁ、と変なところで感心してしまう。 そんな、日本人が今日も情熱の国スペインはマドリッドで石と向き合っています。 そうそう、このサグラダ・ファミリア教会の完成予想は最近少し早くなったそうな、2256年頃だそうです・・・。なんともはや。。 ![]() ![]() ![]() |