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琉球金細工。
2013/05/17 17:13:58 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 沖縄の伝統工芸品

1509年、琉球王国第二尚氏王統・第三国王の尚眞王(しょうしんおう)の命により、当時、交易を交わしていた明王朝に職人を派遣した。その目的は、明の優れた金細工技術習得の為だ。琉球金細工の歴史が今から504年前に始まった事になります。





























職人達は国王の期待通り、優れた技術を取得し、琉球に帰国。その後、代々の祖は王府の抱え職人として、金細工奉行の采配下、王家・貴族からの注文に応え優れた装飾品を献上し続けた。

この金細工の祖こそ、又吉(またよし)家だ。又吉家は幾つも工房を持っていたことだろう。当然、分家も出てきた事だろう。今残っている金細工の又吉家は七代目だ。

先の大戦では、代々の資料、工房、道具、家系図など全てが焼失。戦後、長い空白の時を余儀なくされ六代目の又吉誠睦(せいぼく)は1960年代に入り、版画家の棟方志功や民芸運動の浜田庄司らに背中を押され、琉球金細工を復活。現在は七代目の健次郎がその技術を伝承している。

今でこそ、素材は銀を使用。当時は煌びやかな飾り細工をしていたそうだが、なにせ、何も手元に残っていない又吉家。現在はジーファー(かんざし)・結び指輪・婚礼の房指輪の3点の復元に丹精を込めている。

ジーファー(かんざし)。






































鎚だけで銀を美しく延伸成型するのはかなり高度な技術です。直線美と曲線美を作り出す訳ですからね。























結び指輪(本結び)銀100%の針金を結びながら指輪に仕上げて行く熟練度はかなり高いぞい。




















こちらは、キャスト製。大量生産品。やっぱり味が無いような・・・感じがしませんかね。





































婚礼房指輪(又吉家原型品)。七つの願いの房(チャーム)が飾り。






























七房の意味は・・・

魚・食べ物に困らないように  
ざくろ・子孫繁栄  
桃・不老長寿  
扇・末広がりの福  
花・生活の彩り  
蝶・天国の使者  
葉・着る物に困らないように

現在ではこんなアレンジもありかな。


































ちゃんとネックレスバージョンありますよ。






























琉球金細工(クガニゼーク)又吉家七代目、又吉健次郎。琉球王の尚眞王の命がこの人に受け継がれている・・・そう考えると、この画像は大変意味のあるものになります。









































脈々と、琉球王国の技術が現在も細々ではあるが残り、後継者も育っている事を聞くと安心する。

沖縄の子供たちの中からも素晴らしい金細工職人が出てくる事を楽しみにしているのだが。。。

復元された首里城内にてんじしてある琉球王の王冠。復元ではあるけれどきっと頭上の石は宝石を散りばめていたはずだ・・・残っていないのが本当に残念だ。
























戦争というのは人命・文化・歴史まで奪い取るものだと思うのです。

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ハジチ
2009/08/08 22:29:54 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 沖縄の伝統工芸品

まだまだ風が強い中、家の中の大掃除をしてしまった。。。

不要な書類など全て破棄してすっきり。

防風戸解除がまだ出来ないのでせめて室内の大掃除でもと。



やっと落ち着いて、調べ物や仕事の準備などしていたら、こんな時間になってしまった。



書籍を整理していたら面白い新聞記事のスクラップがあった、4年前の日付だった。

民俗学的な関心は小学校時代くらいからあって結構色んな書物が知らず知らず集めていたようだ。

奄美から沖縄、先島にかけ「ハジチ」という風習が明治時代位まであった。



ハジチの基礎知識・・・・・・

女性の手の甲に施す刺青のことで、竹針で突くことから『針突。ハジチ』と呼ばれていた。
ハジチは、現代の若者たちがやっているタトゥーと同じく、女子の手の美的アクセントであると同時に、既婚者のしるしでもあった。

明治の末ごろまで沖縄で広く行われていた女性の入れ墨。成女儀礼として指から手の甲、ひじにかけて施された。
模様はデザイン的な美しさと呪術的な意味合を備え、女性の一番のおしゃれだったという。
1899年に入れ墨の禁止令がだされたが、昭和の初期まで密かに行われていたらしい。

地域や個人によっては、一人前の女であることを「ハジチ」で示したとも言われる。その模様は、時代によっても異なるが、丸形、四角、菱形と様々。ハジチ彫りを生業とする針突師(ハジチャー)が居て、各地を廻り、「首里那覇では今、菱形模様が流行っている」などと、情報を提供してハジチ商売をしていたようだ。

場所によっては、心得のある者が、その地域のハジチを一手に引き受けていた。さしずめ今のビューティーサロンのようで、カリスマ・ハジチャーもいたにちがいない。地方の女子たちは、1〜2年に一度やって来る針突師を心待ちにしていたんだって。

そのための費用は、鶏を飼い卵を生ませて換金したり、現物を渡したり、自家で生産する野菜などを市場に出したり、または、労をいとわず、自ら野菜や芋、大根などをカゴに入れて頭に乗せ、家々を売り歩いてお金を手にする。親たちも、この針突費用稼ぎだけは、大目にみていたようだ。むしろ、奨励していたような節がある。

初めて針突をする手を「サラ手。サラてぃー」と言い「まっさらな手」を意味する。奇数年齢の年の吉日を選び、そのサラ手に「ハジチ」が施されると、家族はもちろん、友人知人が集まり、祝いの座が設けられた。美風だったのである。
 
針突の所要時間は存外に短く、3、4時間。術後はトーヌカシー(おから)で突き跡を洗い、痛さと腫れを引かせたようだ。
トーヌカシーには民間療法の特効があったのだろうか。神経が細やかな指や手の甲を針で突くのだから、痛くないわけがない。

しかし、この「痛み」に意味があるのだ。

針突の痛みに耐えたように、女子は嫁ぎ先でも辛抱第一。何事にも耐える強い生き方をせよと、教訓したのである。

「財産は大いにあっても、あの世には持っては行けない。でも、ハジチは永遠のもの」とする考え方は、観念として人々の中に根強くあったようである。

明治19年(1886年)沖縄県知事大迫貞清(1825−1896 初代知事)は、ハジチを悪い風習とみなし、針突禁止令を立案するに至り、時を追ってハジチをする者も少なくなっていった。また、大正五年(1916年)フィリピンに移民した3家族の妻女が、揃ってハジチをしていたため、当地の日本人社会から白眼視され、さらに、台湾や南洋諸島でも「沖縄の蛮風」と軽蔑、差別されていた。

事ここに至っては、海外の沖縄県人会も無視するわけにはいかず、県に対して「今後、ハジチをした女子の海外渡航を取り締まるよう」文書を送っている。



といったもので、どんなものかと言うと。













デザインは色々意味合いがある。




























実際のハジチを施した方。


















































奄美から与那国までの地質学的な琉球弧(りゅうきゅうこ)という地域の文化風習は、大陸・太平洋海洋系の風習が色濃く残っている地域だと思うね。


離島によっても言葉が違い、石垣の集落集落でも違う・・・・

まさに独自文化が育まれた土地柄なんだよね。







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壺屋焼
2007/04/01 21:35:28 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 沖縄の伝統工芸品
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久しぶりの企画です。沖縄の伝統工芸品シリーズ、今回は壺屋焼について少々書いてみようかと思います。

沖縄には優れた工芸品がいくつもありますが、「壺屋焼」もその1つ。現代壺屋焼の名工と言われる陶工は、人間国宝ですでに他界している金城次郎氏をはじめとする金城家。小橋川永昌(こばしがわ・えいしょう)氏の小橋川家。新垣栄三郎(あらかき・えいさぶろう)氏の新垣家が御三家と言われています。

壺屋焼とはもともと沖縄や鹿児島、薩摩地方で窯場を意味し、17世紀、今の那覇市内の一角に焼物の町が作られ、それがそのまま地名となり焼物の名称となりました。壺屋焼には赤絵やコバルトの大胆な絵柄が施された上焼(じょうやち)と、素朴な土味が魅力の荒焼(あらやち)の2種類があり、どちらも南国ならではの花や魚などをデザインした明るい図柄と生活にあった形、おおらかでエキゾチックな美しさが特徴ですね。

沖縄は第二次大戦で打撃を受けましたが、壺屋には窯と職人達が生き残り比較的早く復興することができました。しかし壺屋は町中にある為に煙りの問題などで十数年前から登り窯が焚けなくなり、今では荒焼専門の南窯(ふえぬがま)に年2、3回火が入るだけです。壺屋を離れ最近では沖縄読谷に窯を築く陶工も増え、新たな陶郷となっています。また、伝統にとらわれない新興の工房は沖縄各地に散らばり、琉球焼と呼ばれています。

色々な影響と危機と対峙しながら現在に至っているのですね。

因みに私の「マカイ」ご飯茶碗は、小橋川氏のもので大変愛着のあるものとなっています。美しい磁器と違い温かみのある茶碗として大切に使っています。

皆さんも沖縄の工芸品を日常生活で使っていますか?


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サバニ
2007/02/11 22:13:08 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 沖縄の伝統工芸品
uppic その起源は分かっていません。正確に誰が・・これは琉球文化には必要ないことなのです。ただ、今世界各地に琉球交易時代と、海人の軌跡が数多く残っています。パプアニューギニアには船の事を「サファニ」と呼んでいる地方が残っています。ちなみに「パヤオ」漁は沖縄のものでなく、東南アジアから輸入した技術よ、間違えないでね。特に若い人やアルバイト系の人が「沖縄独特の・・・」なんていう場面たまに見るからさ、よろしくね。

このサバニの語源はセブニ(瀬舟)、スブニ(素舟)サブニ(小舟)など、「サバニ」が使われた水域、形、大きさなどから、恐らく訛ったものだという説と、糸満では鱶(フカ)をサバといい、鱶漁に使う舟だから、「サバブニ」それが「サバニ」となったという説・・・などなど、私の知り合いの海人に聞いても「わっからん」の即答、でも知っとけよ。

「サバニ」には「磯サバニ」「追込漁サバニ」「鱶漁サバニ」の
三種に大別されていたようですが、使用目的にしたがって、その長さや幅が違うのですが・・・

まぁ、ざっとこんな感じでスタートしたこのアップですが、先ほど東京オリンピックで川の上に高速道路を作ったなんて書きましたが、今風呂は入りながら「そうそう、沖縄の全員が知ってなきゃいけない事があるじゃない」と思い出し知ってる方も知らない方も読んでみて下さい。

東京オリンピック開催が決定してから、日本は各競技の底上げとメダル獲得計画を国家プロジェクトでスタートしました。今他国がやると「見苦しい」など否定的な目で見るかもしれませんが、必ずやることですので応援してあげましょう。

海洋王国日本は、ボート・ヨット競技でも本気でメダルを狙い選手育成をスタートしました。それと同時に、早いボート艇の開発を進めなくてはいけなかったのですが実は、東京オリンピックの日本選手団が乗ったボートデザインは「サバニ」を基礎とした設計であったことはあまり知られていないのです。

そもそもサバニは遠洋まで早く行く為に進化してきた独特のキールが特徴で、走行性には抜群のパフォーマンスを発揮するのですが、停泊中の揺れは最悪。乗ったことある方は経験したことあるかと思いますが、走ると水面を切るように走り、飛んでいる感じになります。これは絶妙のデザインでまさに早く走る為の「設計」だったのです。そしてリーフ付近で漁をすることも想定して汽水自体も浅くまさにお皿を浮かべた状態のものでした。

日本の技術者が徹底的に会場の海面の波の高さを2年間集め最高のサバニベースのヨットが日本の海を疾走していた競技はあまり関心がよせられず、第18回東京オリンピック開催(江の島)の成績はフィン級21位、FD級15位、スター級13級、ドラゴン級17位、国際5・5級14位とメダル獲得にはなりませんでしたが、この快挙に逆に世界が驚いていたのです。激しい予選を通過して、オリンピック本選でこの結果です。私は素晴しいと思います。

この東京オリンピックがヨット競技の成熟に向け疾走し始めたのです。1968年アメリカの西海岸国際大会で優勝したのは東京に出場したペア。そしてサバニヨット。世界の頂点を極めた瞬間でした。


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沖縄の伝統工芸品 漆器編
2007/02/02 17:37:34 ブログカテゴリ 日常 | 書庫 沖縄の伝統工芸品
uppic 久しぶりの沖縄の伝統工芸品企画第3弾です。東京でアップするのもなんですな・・・

さて、沖縄にも素晴しい工芸品が沢山あります。残念ながら先の大戦で殆どの資料は焼失し、沖縄県内には殆ど手引書などは残っていないといわれています。

そんな中、戦後継承者が脈々と続けてきた生業が結実に確実に向かっていると感じます。どこのマーケットに左右されず独自のアジア感で復活してもらいたいと思います。

漆器とは「うるし」を使った器の事で、世界的みてもアジアを中心に独自の進化を遂げてきた生活雑貨です。日本では縄文時代、世界的にみれば中国のはるか昔、4000年前の遺物からも確認されている人間と深いかかわりを持っている天然素材です。

さて、沖縄でうるしなんてあるのなんて思うかもしれませんが、マンゴーもうるし科の植物ですね、結構あるんですよ。まぁ、色々配合があるので詳しくは調べてください。書くと長くなっちゃうな・・・

琉球漆器といわゆる内地の漆器と何が違うかというと・・・そうだな、一言で言うと、「朱の琉球」「黒の日本」となりましょうか?すこし語弊がありますが、割愛下さい。

琉球という文化圏は大陸王朝の影響を受けています。全て中国というのは間違いです。壺屋焼きはベトナムです。須恵器というな流れが中国からアジア各地に伝わり中国で進化し陶磁器として開花したの景徳鎮などの磁器ですな。中国はいわゆる磁器であり、素焼きに近い焼き物はもともと王朝としては保護していませんでしたので、結果、中国から伝わったとは思えませんね。どちらにせよ、風土に合った物を広く取り入れてきました。それほど交易として琉球は世界に開かれた海洋自由貿易国家であつたのですよ。沖縄の若者頑張ってみなさい。期待してるよ。

さてと、琉球漆器は日本の金粉技法、蒔絵(まきえ)技法など装飾を極力廃した、素朴で力強い器が多く観賞用というより実用品としての存在力があります。

是非、マイ箸くらいは琉球漆器で行きたいもんですね。如何かな?

画像は、迫力の「鯛の器」と朱2点。黒はトンボの「螺鈿(らでん)細工」夜光貝ですね材料は・・・今は宮古が良く取れるかな・・

代表的な作家は、嘉手納 憑勇氏・金城 唯喜氏・前田 孝允氏でしょう。特に前田氏の代表作を見たければ、首里城へ行ってください、首里城復元の朱は全て前田氏によるものです。

それでは、また次の企画で勉強しましょう。
uppic uppic
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